YUKI FUJISAWA

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アランニット制作日記 3月対談/写真家・木村和平

2020/04/01

昨年7月から始まった「アランニット制作日記」は、今月で最終回を迎える。その締めくくりに、「記憶の中のセーター」を実際に着てきた人に話を聞かせてもらうことにする。ひとりめは、写真家の木村和平さん。春の日、吉祥寺で待ち合わせて、話を伺った。

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 2019-2020の「記憶の中のセーター」のビジュアル撮影をしてくれた木村和平さんは、ゆきさんと古い付き合いだ。ゆきさんは和平さんのことを「かずへりん」と呼ぶ。和平さんが最初にゆきさんの作品に触れたのは、2012年にデザインフェスタギャラリー原宿で開催された『白昼夢』というグループ展だった。

木村 今日はその『白昼夢』でオーダーしたストールを持ってきたんです。

藤澤 すごい、まだ持ってくれてるの? 手染めのストール。

木村 初めて『白昼夢』でゆきさんに会ったとき、このストールをオーダーしました。

藤澤 懐かしい。これはもう今はやってない染め方で、グラデーション染みたいに白から1色に染めるんじゃなくて、いろんなとこにちょっとずつ色があって。

木村 改めて見ると、今と全然違うなと思った。このムラがすごく良い。これが最初にゲットしたゆきさんの作品でした。その頃はオーロラのスカートとかシュシュとかを作ってましたよね?

藤澤 そう。その頃はまだ古着じゃなくて、真っ白な生地を買ってきて、それを染めてました。

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 『白昼夢』というグループ展が開催された頃、ゆきさんはまだ「YUKI FUJISWAWA」を立ち上げる前で、「ハートの、」という名前で活動していた。一方の木村和平さんも、当時はまだ10代だった。お互いの存在は、当時どんなふうに映っていたのだろう――?

木村 その頃はとにかく服にすべてを捧げていた時期で、服を買うためにバイトしてたんです(笑)。最初は古着から服を好きになったんだけど、だんだんブランドも知るようになっていくなかで、自分がいいなと思うのは手作りの要素があるブランドで。手作業が入っていることにすごく執着してた時期もあるんだけど、ゆきさんの作品はそこにぴたっとくる感じだった。

藤澤 男性が買ってくれたのは、かずへりんが初めてだったかも。今はTシャツやニットを作っていて、ユニセックスで提案をしてるけど、前は女の子が直感で「好き!」って思ってくれるような色調が多かったんです。だから、男の人の琴線に触れたことが嬉しかったので、かずへりんのことは印象に残っていました。あの頃は格好がもっと派手だったよね?

木村 その頃って、レディースのでかい服をずっと買ってたんです。小さい頃から、男の子っぽいものより、女の子っぽいと言われるものが好きだったんですけど、ファッションの入りもそういう感じで、いわゆるバキバキなメンズ服より、しなやかで可愛らしいものが好きだったっていう。僕の中では「これは女の子っぽいからやめとこう」って感覚がなかったから、ゆきさんの作ったものを見てシンプルに「これはすごい!」と思ったんですよね。

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 「手作業が入っていることにすごく執着していた」と和平さんは言う。工場で大量生産されたものより、ひとつひとつ手作りされたものの方を好ましく感じる――それは多くの人が感じていることだろう。ただ、そこに「執着していた」とまで語る背景には、どんな感覚があるのだろう?

木村 僕は手作りのものだけをまとっているわけじゃないし、ユニクロのTシャツや下着も着るけど、手作りのものにはあきらかに念が入ってるんですよ。それはその人が描いた絵を買うのと同じことで、その服を見たらゆきさんの顔が浮かぶような、そういう精神レベルの良さ。情と念と手汗が入り込んでいるものをすごく信用していたから、「生産者の顔が見える野菜しか食べたくない」みたいなことと同じように、どこの誰が作っているかわからないものは嫌だっていうモードが、10代の頃は特に強かったんです。

藤澤 話を聞いていて、「私もおなじ感覚だった」って思い出しました。だから手作業にこだわっていたし、自分がその場にいなくても、念みたいなものは物を通じて伝わると思っていて。今は「こうすると着やすくなる」とか「こうすれば耐久性が増す」とか、購入してくれた人に渡ったあとのことも考えられるようになったけど、そのときはもっと作品に近くて、作業に祈りを込めるみたいな感覚でした。それを誰かが身にまとったとき、勇気が出るとか力が湧くとか、そういうことが起こるといいなって信じてやってました。

木村 それを、そう、信じ切っていたんです。今もそういう気持ちはあるけど、当時のほうが「作り手の気持ちを着る」みたいな感覚が強かったですね。

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 ゆきさんは2014年に「YUKI FUJISAWA」としてブランド名を改め、“記憶の中のセーター”を制作し始める。最初のうちはお店に卸して販売していたが、初めて展示会を開催したのは2015年のことだった。

木村 最初にストールを買ってから、インターネットでゆきさんの活動はなんとなく見てたんです。ニットを作るようになったと知ってから、ずっと欲しいと思ってたんだけど、ほんとにぐさっとくるまでは買わないでおこうみたいな気持ちがあったんです。

藤澤 2015年に最初の展示会をやったときに、かずへりんが来てくれて。2015年のニットは、2014年にアラン諸島に行ったあとだったから、海の色とかひかりっていうものを意識して、オパール色のニットを作ったんですよね。それがたぶんかずへりんに刺さったんじゃないかな。

木村 うんうん。あの展示、めっちゃ憶えてる。

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2015年の展示会の様子 / photo by Hyota Nakamura

藤澤 初めての展示会だから、まずは自分の思うように場を作ってみようと、中村俵太さんという空間デザイナーさんに依頼して空間を作ってもらって。展示台としてセメントで塗り固めた石を作ってもらって、それをアラン諸島の石に見立てたんです。

木村 超かっこよかったですよ。さっき「ほんとにぐさっとくるまで買わないでおこう」とか偉そうに言っちゃったけど、ゆきさんと知り合った頃までは服をがむしゃらに買ってたんですよ。バイト代を全部注ぎ込んで、着なくなったら友達に譲ったりしてたんです。でも、写真を始めたこともあって、服を買う量が一気に減って。その中でもお金を出して買うものは、これは一生持ってられるなってものに絞るモードに切り替わってた時期で、だから「本当に気に入ったものしか買わないぞ」って気持ちになったんです。僕はもともと深い緑が好きだったし、そのときの自分にぴたっとくるのが2015年の展示でした。

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2015年の展示会の様子 / photo by Hyota Nakamura

和平さんと出会った頃、ゆきさんは古着や小物に箔を施す「NEW VINTAGE」というシリーズを始めたばかりだった。一方の和平さんも、写真を撮り始めたばかりだったという。

藤澤 最初に会ったときから、私の中では「服が好きな、写真を撮ってる、かずへりんくん」みたいなイメージだったかも。

木村 じゃあもうカメラは触ってたのかな。

藤澤 カメラはね、提げてた気がする。その姿がすごく記憶にある。おしゃれで、カメラを持ってて、背が高い。

木村 写真の入りは、作品制作とかじゃなくて、服が好きってところから派生して写真を撮るようになったんです。その当時はファッションスナップのサイトがすごく充実してて、そのなかの一員だったんですよ。スナップを撮る人。それで毎日のように原宿に行ってました。

藤澤 だから、「原宿に行くとかずへりんがいる」ってイメージだった。まだ明治神宮前交差点に「GAP」があった頃ですね。

木村 誰とも約束してないんだけど、原宿のローソン前に行くと必ず誰かいるみたいな感じでしたね。

 

 ゆきさんが作る「記憶の中のセーター」には箔が押されており、ひかりを受けて輝く。和平さんの写真もまた、「ひかり」というキーワードとともに論じられることが多々ある。和平さんは、「記憶の中のセーター」のビジュアル撮影をするなかで、どんなことを感じたのだろう?

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Sweater in the memory 2019 / photo by Kazuhei Kimura

木村 写真を通してYUKI FUJISAWAを見る以前から、ゆきさんの服には当然ひかりを感じていたし、そこがいいと思っていたんです。それが、写真を通してYUKI FUJISAWAを見るとなると、さらにそこに執着するようにはなりました。 第三者に僕の写真のことを書いてもらうときに、「ひかり」って言葉が出てくることが多いんですけど、最近はあんまり自分で「ひかり」って言わないようにしていて。ひかりのために写真をやっているわけではないし、結果的にひかりにたどり着いたぐらいが理想なんですよね。だから、「記憶の中のセーター」を撮るときも、前提としてひかりはあるから、何も考えなくても撮れるぐらいの感じだったと思います。

藤澤 上がってきた写真を見てすぐに、かずへりんにメールを送ったよね。ラブレターのようなメールになった気がする(笑)

木村 ラブレターみたいの、きた(笑)

藤澤 写真を見たときに、「あ、わかってくれてる」と思ったんです。ずっと作品撮りをお願いしているカメラマンさんがいて、その人とは長い付き合いだからもちろんツーカーだけど、初めて撮影をお願いする方には、期待半分、不安な部分もあるんです。でも、かずへりんは、全然任せて大丈夫だろうと不思議と思ってたんですよね。それが上がってきた写真にもあらわれてたし、ああ、こんな優しいまなざしで見てくれてたんだって感動がすごくあって。ひとりの作り手として、こんなに大事にしてもらえたんだって喜びが最初に届いたときにありました。

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Sweater in the memory 2019 / photo by Kazuhei Kimura

木村 嬉しい。なんだろう、たぶん「このニットをよく撮ろう」とか、そういうことを思って撮ってなかったんですよ。普段ファッションを撮るときって、すごく考えて撮るし、それを求められることも多くて。でも、ゆきさんは事前にヒアリングしたときも「頑張って服を見せようとしなくていい」と言ってもらえて、カネコアヤノがたまたまYUKI FUJISAWAを着ていたみたいな状況で撮れたんです。

藤澤 邪念のない写真が撮れたと思って、嬉しかった。もちろん皆にお見せする写真だから、宣伝だし広告なんだけど、広告となると「どういう素材の服で、こんなシルエットで、こんなイメージの人が着てるんです」ってことにどうしても意識が向いてしまうのだけど、そうじゃなくて、ちゃんとそこにある心情が写ってるというか。

木村 ゆきさんに任せてもらえたのは大きかったです。ニットを預かった一ヶ月間、ほぼ毎日のように持ち出して、隙間を見つけてはアヤノちゃんに着せてラフに撮るみたいな感じだから、気を抜くとお金をもらってることを忘れそうだった(笑)。でも、考え過ぎたりスタッフがたくさんいたらこうなってなかったと思うから、この形でやったのがよかったのかなと思います。

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Sweater in the memory 2019 / photo by Kazuhei Kimura

 和平さんとゆきさんが知り合って10年近くが経つ。ふたりは常に近い場所にいたわけではなく、節目節目でお互いの仕事に触れてきた。だからこそ、お互いの変化に気づくところもあるのではないか――?

藤澤 なんか、かずへりんは自分にやさしくなったと思う。

木村 うそ、やさしくなった?

藤澤 もともとやわらかい印象の人だったけど、自分の痕跡を消そうとするタイプの人だったと思う。そこは私も一緒で、インターネット上に自分が残らないようにしたいと思ってたし、どういう人物だと思われるかってことに対して、すごく気を張っていたところがあって。でも、年が経って、かずへりんも私も良い意味で肩の力が抜けたのかなと思います。

木村 それはあるかも。

藤澤 かずへりんの写真も、優しくなったと思う。さっきの「撮ろうとしないで撮る」みたいなことが、自然にできるようになったんじゃないかって――すみません、偉そうですけど。

木村 いや、本当にそうです。写真を撮り始めた頃は、「こういうのを撮ろう」と誰かの真似をするとこから入ってるから、ナチュラルな自分じゃなかったってのはあるんです。それが今は、いい意味で力が抜けて撮れるようになってきたんだと思います。立ち振る舞いも含めて、ゆきさんの言う通り、昔はすごい尖ってたと思う(笑)

藤澤 いや、私も人のこと言えないんですけどね。

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木村 ゆきさんは、物づくりに関しては、ほんとに職人になったんだなっていう印象ですね。僕の写真もそうだけど、思いついたアイディアを作品にするまでって、最初はすごく荒削りなことが多いと思うんですよね。ゆきさんは、そういうオリジナリティや感情を入れつつも、質がすごく高くて。しかも毎回アップデートしてくるから、見るたびに「うわあ!」ってなります(笑)

藤澤 ありがとうございます。

木村 なんだろう、売れてくると、最初に持っていた感情だとか、もともと大事にしていたものを捨て過ぎちゃう人もいると思うんです。ゆきさんも、ブランドが大きくなって売れる数が増えるにつれて、受け入れた部分もきっとあると思うけど、それをまったく感じさせなくて。そこを守り抜きつつ、能力が職人になってきてる印象があります。いや、ほんとにストイックですよね。

藤澤 職人と言ってもらえるのは、すごく嬉しいです。でも、私はたぶん、ほんとの職人さんにはなれなくて。私が自分で飽きちゃうから、「こうだったらもっとわくわくする」みたいな方向に変えていっちゃうんですよね。たとえば売り方にしても、お店に卸せばたくさん広がっていくけど、それだと誰が着てくださっているのかわからなくて、遠くに感じて寂しいと言うか。だから今年はお店に卸さずに、アトリエショップでだけ販売してみたり。

木村 そっか。たしかに、届け方がすごく変わってきてるんだ。

藤澤 そう。そうやって今までの自分になかったやりかたを選んでみると、また新しい発見がある。そこでお客様とコミュニケーションすることで、「こういうところを好いてくれてるんだ」とか、「ああ、次はこういうものを作るとあの人に似合いそうだな」とか広がっていく。そうやって、自分がわくわくしながら継続できるものを選んでるんだと思います。

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 「最後に言っておきたいのは、撮影できてほんとに嬉しかったんです」。ひとしきり話したあとで、和平さんはそう切り出した。

「使い古された表現だけど、ゆきさんの作品を撮影する日がくるんだって、あの頃の自分に教えてあげたい。ゆきさんと出会った頃って、自分が写真家になることを想像もできてなかったはずだから。それから時を経て、ゆきさんの作品を撮って、それをアヤノちゃんと一緒にできたことはすごくありがたくて。ニットがうちに段ボールで送られてきたとき、泣いたんですよ。いろんな気持ちが湧き上がって、泣いたんです。それぐらい嬉しかったんです」

 和平さんの言葉に、ゆきさんは「それだけで『続けてきてよかった』と思えるし、かずへりんが写真を始めた頃と今の時間のことを思い返せるきっかけになったのはすごく嬉しい」と答える。10年前のことと、今のこと。そして、これから先にやってくる季節のことを想像しながら、春の井の頭公園を歩いた。

 

words by 橋本倫史