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アランニット制作日記 3月対談/女優・青柳いづみ
2020/04/10
今月で最終回を迎える、「アランニット制作日記」。その締めくくりに、「記憶の中のセーター」を実際に着てきた人に話を聞かせてもらうことにする。ふたりめにして、最後に登場してもらうのは、女優の青柳いづみさん(左)だ。
藤澤 最終回はニットがいいかなと思って、今日はアラン諸島で買ったニットを着てきました。
青柳 アラン諸島って、外国の?
藤澤 そう。アラン諸島に行ったときに買ったやつ。
青柳 これは箔押ししないの?
藤澤 しないの。資料として買ったのでほとんど着てないんですけど、今日久しぶりに着ました。
青柳いづみさんは、マームとジプシーやチェルフィッチュに出演している女優だ。ゆきさんと青柳さんが初めて接したのは、2016年に東京芸術劇場・プレイハウスで上演された『ロミオとジュリエット』(作・演出=藤田貴大)だ。青柳さんがロミオ役を演じたこの舞台は、大森伃佑子さんが衣装を手掛けていた。その衣装に箔のデザイン装飾を施したのがYUKI FUJISAWAだった。
藤田貴大(マームとジプシー)演出『ロミオとジュリエット』/2016年
青柳 最初に会ったのは『ロミジュリ』のときだけど、そのときはそんなにしゃべってないよね?
藤澤 そうだったね。大森さんと芸劇で待ち合わせたとき、エスカレーターの上まで香菜さん(マームとジプシーで制作を担当する林香菜さん)が迎えにきてくれたのをおぼえてる。「どうもどうも!」みたいな感じで、すごいフランクな人だと思ってびっくりしたのを憶えてる。
青柳 それで、劇場で会ったのかな?
藤澤 地下にある稽古場みたいなところに案内してもらって。その日は衣装合わせの日で、サイズを測る日だったかも。
青柳 じゃあ、稽古が始まったばかりのときだ。しゃべってないね。
藤澤 うん。そのときは「皆さん、こんにちは」って感じだったし、その後も『ロミジュリ』のときはしゃべってないかも。
青柳 うん、しゃべってないと思う。ゆきさん、第一印象怖いし。
藤澤 うそ、私が?
青柳 すごい年上だと思ってたから。先輩って感じだった。目つきがね、すごい先輩ぽいよ。あとから中高運動部だったと聞いて納得したもん。
『ロミオとジュリエット』のときはほとんど言葉を交わさなかったふたりに、ふたたび接点が生まれるのは2018年のこと。川上未映子さんの詩を藤田貴大さんが演出し、青柳いづみさんの一人芝居で上演する『みえるわ』という作品が発表されるとき、青柳さんは詩の一篇ごとに異なるデザイナーに衣装を依頼した。そのひとりがゆきさんだった。
川上未映子×マームとジプシー『みえるわ』より『治療、家の名はコスモス』/2018年
青柳 ちゃんと話をしたのは、『みえるわ』の衣装をお願いして、「一度会ってお話ししましょうか」っていうのが最初なのかな。
藤澤 そうかもね。それまでは衣装の若林(佐知子)さんが取りもってくれたから、若林さんとは連絡とってたけど、いづみちゃんの連絡先は知らなかったもんね。
青柳 先輩の連絡先は自分から聞けないからね。『みえるわ』のときは、自分が着る衣装を自分で決めて、自分で依頼に行くスタイルでした。そこで上演する予定の詩からイメージを膨らませていくなかで、「治療、家の名はコスモス」という詩はゆきさんにしかできないと思ったんです。
藤澤 『ロミジュリ』のときは大森さんがメインだったから、直接依頼してもらえて嬉しかったな。あんまりしゃべる機会はなかったけど、『ロミジュリ』で藤田君の作品をはじめて観てすごく感動したから、「なんで今まで知らなかったんだろう?」って思ったんだよね。名前は聞いてたけど、演劇をほとんど観たことがなくて、劇場に足を運ぶことがほぼほぼなかったから。
青柳 それまで?
藤澤 そう。「知らなくてもったいないことをした」ってぐらい衝撃で、だからもう一回連絡をもらえて嬉しかった。なんだろう、演劇って3次元なんだってことに感動したの。私は布を扱っていて、布は立体にもなるけどかぎりなく平面で、0.何ミリの厚みにあるテクスチャーの表現なんです。でも、演劇は人間が限られた空間におさまっているんだけど、その空間以上の広がりがあるじゃないですか。しかもあんなにシンプルな舞台装置から広がっていくのがすごくて、見えない世界が彩られていく様子にびっくりしたんです。
『みえるわ』では、7篇の詩が上演された。つまり、衣装を手掛けるデザイナーも7人いたのだが、そのひとりひとりに、青柳さんみずから依頼をしていた。そこには「この詩の衣装は、この人に作ってもらわなければ!」という強い信念のようなものがこもっていた。
川上未映子×マームとジプシー『みえるわ』より『治療、家の名はコスモス』/2018年
青柳 たしかに、ありましたね。謎の信念。
藤澤 あのとき、いづみちゃんが本を3冊ぐらい送ってくれたんです。
青柳 そんなにあげたっけ。「とにかく読んで欲しい!」って送ったのかな。
藤澤 そのとき、「ゆきさんと一緒に考えたい」と言ってくれて、安心したのをおぼえてます。衣装をお願いしますと丸投げされたら、答えを出さなきゃって気持ちになるし、「この解釈で合ってるかな?」って心配になっちゃうじゃないですか。でも、演じる女優さんがそう言ってくれたのはすごく心強かったです。
青柳 作り方の過程はすべてのひとで違ったんですけど、ゆきさんとは「一緒に考えたい」と思ったんですよね。喫茶店で会って、何回か話し合いましたよね。最初に藤田君のイメージとしてあったのは、テニスしてる女の子みたいな格好だったから、それに対してゆきさんが「こういうことができるよ」って、具体的に話してくれて。今まではイメージだけで話をする場合が多かったけど、ゆきさんはすごく具体的な人だなって思った。作品について具体的に考える時間が持てた。
藤澤 たしかに、具体的な話をしました。そこから稽古場にもお邪魔して、「ここは穴が空いてるほうがいいのか、空いてないほうがいいのか」とか、「色はどうなのか」とか、やりとりしながら決めていった気がします。
そうして完成した衣装とともに、『みえるわ』は全国10都市を巡演した。その10都市の中には沖縄があり、沖縄だけは二箇所の会場で上演されることになった。この沖縄という土地が、ゆきさんと青柳さんをより近づけるきっかけとなる。
「これ、おんなじ靴」。公園を歩きながら、青柳さんが口にする。ゆきさんが「おぼえてますか?」と僕に言う。それは去年の1月の終わり、沖縄を訪れたときに、ふたりが偶然お揃いで履いていた靴だった。
その日は沖縄で撮影が行われていた。青柳いづみさんと今日マチ子さんによる共著『いづみさん』が刊行されるにあたり、沖縄でグラビア撮影が行われた。撮影に向けて、青柳さんが協力を依頼したのがゆきさんだった。
青柳 ゆきさんと一緒にごはん食べに行ったりするようになったのは、『いづみさん』を作るにあたって、ゆきさんに無茶振りをしたのがきっかけだったと思います。あのとき、お願いするならゆきさんだって、また確信があったんですよね。うまく言葉にはできないんですけど。
藤澤 しかも、「スタイリングをしてください」ってお願いだったんだよね。
青柳 そう、だから「スタイリングをする人じゃないですよ?」って言われました。ゆきさんは、洋服のここだけを見てる人じゃなくて、その背景も見えてる人なんじゃないかって勝手に思ってたんです。服のことだけじゃなくて、全体的に考えてくれる人で、もっと話したいなと思うのがゆきさんだった。
藤澤 スタイリングを引き受けたのは、私も「もっとしゃべってみたい」と思ったからだったな。
青柳 沖縄で撮影をした次の日、ゆきさんとドライブに出かけて、そこで「友達がいない」って話を結構したと思うんですよね。それで友達の契約を交わして。
藤澤 ちょっとうろおぼえだけど、「友達になりましょう」って言ったんだっけ。
青柳 「もう友達だと思う」って、海に行くまでのあいだに話したんだと思う。
――ゆきさんの作品を買ったのは?
青柳 これ。あ、これまだお金払ってない。
藤澤 え、うそ?
青柳 まだ買ってないかも、もしかして。ごめん、払うね。まだ買ってはいないんです、私。これだもんね。その前に、このガウンを、お礼にって言って。
藤澤 原美術館での発表のお礼に。
青柳 作ってくれて。ほんのりみえるわ仕様で。でも、なんか、この人に、ずっと作り続けてもらいたいなっていう、意志表明は、やっぱお金は払わないと成り立たないなと思って。で、そして、買ったことないじゃんってことにそこで気づいて、ほしいって言った。まだ買ってないんですけど。
藤澤 ありがとう。
『いづみさん』の撮影を終えると、今度はゆきさんが青柳さんに依頼をする。2019年3月16日、YUKI FUJISAWAは原美術館で「“1000 Memories of” 記憶のWorkshop」を開催する。そこではプレゼンテーションも開催され、多くの人が来館した。来館者は、自身の記憶を“記憶の破片”という紙に記すと、それと引き換えに記憶の通貨「memoire」を受け取ることができた。今後、YUKI FUJISAWAの記憶にまつわるプロジェクトで使用できる通貨だ。
その日、記憶の破片とmemoireを交換する「換金所」の役を担ったのが青柳さんだった。来館者と直接やりとりして、その人の記憶について会話をする「換金所」役――それは、青柳さんが演じてきたいろんな役の中でも、少し異質であるように思える。
青柳 考えたことなかったけど、そうかもしれないですね。ゆきさんからの依頼じゃなかったら、引き受けてなかったかも。
藤澤 それはやっぱり、舞台じゃないから?
青柳 舞台じゃない――というより、何をやるのか、まったくわかってなかったのだけど(笑)。換金所役って説明を受けてもよくわからなかったけど、役を演じるというよりは、ゆきさんが作った完全な世界の中に入ってみたかった。
藤澤 あのワークショップを企画してくれた金森香さんと話してるとき、最初は本物のポストを建てようって話もしてたんです。でも、ただポストを置くんじゃなくて、換金所役のなにかがいたほうがいいんじゃないか、って。換金所役を人間にやらせるなら、「青柳いづみしかいないね」って話になりました。
青柳 今ならもうちょっと良い換金所ができるかも。モノとして。あのときはちょっと人間過ぎちゃったかも。でも、人間じゃない状態で人間に話を聞くって、どうやったらいいんだろう?
藤澤 でも、こないだ(金沢・21世紀美術館で上演されたチェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム森』)のときは人間じゃなかったよね?
青柳 人間じゃなかったけど、あのときは発語はしてないからなあ。でも、『消しゴム山』と『消しゴム森』で、結構変わった気がする。『消しゴム山』が終わってから、藤田君に「なんかモノの扱い方変わった?」と指摘されてはじめて気がついたけど。舞台からおりるとその感覚を忘れてしまうんですけど、確実に空間の把握の仕方が変わっているし、人間を見る目というか、視点が変わってるかもしれない。変化してしまった今ではもうよくわからないけど。だから今換金所役をやったら、全然違う換金所になる。
青柳さんは「換金所」役として誰かの記憶を受け取った。そこで受け取った言葉は、3月31日に開催された「『記憶の破片』をめぐる朗読会」で朗読された。この企画にかぎらず、女優という仕事は、誰かが綴った言葉を受け取り、それを観客に差し出す仕事だ。それは、ゆきさんの「記憶の中のセーター」とも、どこか通じるところがある。
藤澤 たしかに、そうですね。私はやっぱり、橋渡しする役なんだと思います。私の仕事はベースとなるヴィンテージの素材を探すところから始まるけど、そこに「私がこのヴィンテージをデザインしてやる!」って自発的な気持ちはあんまりないんです。そうじゃなくて、次の人に手渡すための準備を手伝うような気持ちです。ヴィンテージを見てると、「これ以上手を加える必要がないな」と思う物もあって、そういう素材は私は買わないようにしてます。
青柳 それは、何が違うんですか?
藤澤 配置する必要があるのかどうかってことなのかな。言い方を間違えると、ちょっとスピリチュアルな話になっちゃうから難しいんだけど。パン屋さんが小麦の声を聴くとか、彫刻家の人が「土がこうなりたがってる」とかって言うのと近いことなんだと思う。ずっとやってるから、そのものをどう次に配置したらいいか、読み解く力が鍛錬されてきたところはあるかも。
青柳 じゃあ、「もうこれ以上手を加えなくていい」と思えるニットがいたとして、そのニットは何て言ってるんですか? 「俺のことはもう放っといてくれよ」みたいなこと?
藤澤 しゃべってるわけじゃないんだけど、何も手を加えなくても「次の人の手に渡るだろうな」と思える力を感じるニットと、「もうちょっとこうしてあげたほうが、より素敵に生まれ変われるよね」って感じられるニットがあるってことかな。
青柳 そうなんだ。でも、声が聴こえるみたいな感じは、舞台上でもあります。稽古場にはないけど、本番中の舞台にはあるもの。「ここはこうしたほうが絶対にいい」っていう、これもまた謎の確信。
藤澤 あ、私の中にあるのも「確信」かも。
青柳 確信が生まれる瞬間が、いっぱいある。誰による声なのかはわからないけど、実際に観客がいるときにはっきりわかることが、いっぱいあります。「『記憶の破片』をめぐる朗読会」は朗読の時間が音楽に合わせて15分ほどで、声を聴き取ってもその瞬間に生かす余裕がなかったから、そのときに生まれたものをまた別の形にして誰かに見せたい。
青柳さんは、ゆきさんが手がける衣装を、舞台上で身にまとってきた。舞台上ではなく、普段の生活でゆきさんの作品を着るようになったのは、原美術館でのワークショップのお礼にニットをプレゼントされてからだという。
青柳 この冬は、ほぼ毎日のようにこれを着てます。ゆきさんには「毎日着ちゃ駄目」って言われたけど、ほぼ毎日着てる。
藤澤 うん。休ませてね。(笑)
青柳 でもね、ずっと着ちゃう。今はこれだけでいいやって気持ちになる。ずっときらきらしてていい、って。きらきらが剥がれてコートや机にくっついてたりするのも可愛くて。
藤澤 きらきらしてるユニフォーム?
青柳 ユニフォームです。これ、ほんと毎日、知らない人に何かしらを言われるんですよね。この前もスーパーで知らないおばあちゃんに「すごくきれい――っていうかすごいわね」って言われた。「思ってるより光ってるよ」って言われたこともある。
藤澤 だってこれ、通常のものより更に箔を重ねたもんね。
青柳 ゆきさんにオーダーするときに、「どの色の箔をメインにする?」って聞かれて、悩んじゃって。ああもう、そういうのはちょっとわかんないやって、全部のせになりました。だからめっちゃ光ってる。青と、銀と、ブロンズ。ばあちゃんはこれを見ると、「夢みたい」って言う。
藤澤 おばあちゃんって、いづみちゃんのおばあちゃん?
青柳 そう。うちのばあちゃんが「夢みたいねえ」って。『みえるわ』の衣装もまじまじと見つめて「夢みたいねえ」って言ってたから、おばあちゃんたちのあこがれなのかな。「宇宙」って言われたこともある。ボイジャーだっけ、探査機が地球外生命体に出会ったとき、「地球ってこんなですよ」ってことが搭載されてるじゃないですか。何が載ってるのかわかんないけど、「地球の音楽ってこういうものですよ」みたいな。そのボイジャーに、この服は搭載されてる感じ。「着るものってこれですよ」って――いや、違う。着るものっていう言葉じゃないかもしれないけど、「いづみにとって、地球にとってのひかりってこれですよ」みたいな、そんなような感じがする。
二人が話していたのは、神田川のほとりにある江戸川公園だった。この日、桜はもうほとんど咲きかけていた。今ではその面影は薄くなっているけれど、かつてこのあたりには染工場が数多く存在しており、賑わいを見せていたという。その時代にはどんな風景が広がっていたのだろう。
いつだか水辺で目にした風景を思い出す。
沖縄で『いづみさん』の撮影が終わった翌日、海を目指してクルマを走らせた。1時間以上かけてようやくたどり着いた海で、ゆきさんと青柳さんは、貝を拾いながら砂浜を歩いていた。浜辺に打ち上げられている漂着物を見て、私の仕事はこういうことなのかもしれないと、ゆきさんは口にした。こんなふうにどこかから漂着したものを、次の誰かに手渡す仕事なのかもしれない――と。その瞬間のことは今でもはっきりおぼえている。
そんなふうに沖縄で過ごしたことがきっかけとなって、この「アランニット制作日記」を書き綴ることになった。ゆきさんが「記憶の中のセーター」を作る日々のなかに詰まっていることを、未来にいる誰かに届けられるように、こうしてボイジャーに記録しておく。
「アランニット制作日記」 完
words by 橋本倫史